カリスマについて

夕焼け小焼け

2011年05月25日 13:32

 若いころは希望の火が赤々と燃えていた。
 歳をとると口火がついているだけで幸せだ。

                  映画「我が道を往く」より




世の中あらゆる分野で カリスマといわれる人物が
多く存在する。

カリスマといわれる人にも さらに上のカリスマが
いるわけで ピラミッド型のヒェラルヒー構造に
なってもいる。

かつてのオウム真理教事件で マインドコントーロール
の恐ろしさを 我々は知った。

スピリチュアルな世界という 曖昧模糊としたカテゴリー
そのボーダーラインは見えにくい。

巨大化した組織は それを維持するだけの経済力が
必要であることを考えたとき ピラミッドの底辺が
それを支える 構造になっているのは自明の理である。

人はなぜ カリスマ性に惹きつけられるのか?
という疑問とその 心理構造が知りたくて調べたところ
とてもわかりやすい文章に行きあたったのでご紹介・・・ 

出典 岩波書店刊 高橋紳吾著
『超能力と霊能者-叢書 現代の宗教』 



人は繰り返す日常に退屈しやすく、絶えず非日常へと
誘われる性質を持っている。

そしてカリスマは非日常への誘いとなる。
故にカリスマ的人物(新たな「恋愛」対象者)は、
非日常的である方が好都合である。

非日常世界を求める者にとっては、
珍奇で周囲から変わり者と思われる人物の方が
魅力的に映り、端正な人物の言葉は「正しい」だけで
魅力を感じない。
そしてカリスマに引き寄せられた者は、
自己と向き合うことを避け、検証能力を持たなくなる
(カリスマに自己を委ねる)。  ↑ ここが大事だ

カリスマが批判された場合は、それをカリスマの
聖性の証明と受け取る。

この時点で日常的判断は手放され、カリスマ的人物の
意向のまま徹底して信者は追従していくこととなる。

だが日常を退屈に思う心理機構は、過敏な感性を持つ反面、
怠惰な性質の者に多く発生する。
実際には同じ出来事が同じ状況で繰り返されることも、
昨日と同じ今日という時間も在り得ない。

退屈な「終わりなき日常」を変革し得るのは、
自己の意識のみである。

過敏な感性は先天的だが、豊かな感性は学習によってしか
生み出されず、また豊穣な個人的体験は、
その個人の社会への参加水準に比例しているという。




すべては 自己責任 ということなんだな。


今日も ありがとうございます。 愛しています。

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