生きてりゃいいさっ!

夕焼け小焼け

2010年03月04日 19:00



 夏の予感 



ふえ~っ! 蒸し暑い~

南西のものすごく湿った風が 吹いています・・・

またジメジメジトジトの あの感覚が
すぐそこまで きているようです。


昨年秋 いちばんいい季節の10月末に
Uターンした息子とともに やってきたお嫁ちゃん

はじめての 沖縄の猛烈な湿気地獄と化す
梅雨の時期と 過酷な長い長い夏を
乗り切ることができるのか?
「横浜に帰りた~い!」って 逃げ出さないか??

それが目下の心配事・・・


わたしの時は どうだったかな~?

湘南ガールだったわたしが
結婚して4年
夫とともに ここ沖縄にやってきたのは
復帰10ヶ月後の1973年3月でした。

夫は大阪生まれの大阪育ち

彼は当時 彼の両親の出生地である
沖縄への思い入れは強く 自分のルーツと
アイデンティティーを求めて
ある日「2、3年 沖縄で暮らしたいのだが・・・」
と切り出した。

まだ子どももいなくて 身軽だったわたしは
「2、3年かぁ~ それくらいだったら
知らない土地で暮らすのも いいかも~」
なんて 感じで来てしまいました。

でもこちらに来てから 二人の子にも恵まれて
自分の人生の 半分以上をこの地で暮らし
今では すっかり根が生えて
もうここが わたしの故郷!と 思っています。


わたしたちが来た 37年前の沖縄というと・・・ 

車を持たなかったわたしたちの唯一の交通手段は
バスでした。
当時はまだ右側通行の時代でしたから
方向感覚に馴れるのがたいへんでした~
バス亭の表示も あったりなかったりで
ずいぶん不安な思いもしました。

唯一の移動手段のそのバスも 
春・年末の賃上闘争になると ストライキで止まり
夏には台風で止まりと
思わぬハプニングばかり。

また 水事情が悪化すると
水タンクのないアパートだったので
隔日給水などという それまでのわたしの人生
にはない体験もしました。


挙句の果てには
沖縄に来て半年もしないうちに
夫が浮気~
しかも わたしの誕生日に告白された!
なんじゃこりゃ~!!

あのときは 毎日黄昏時になると
おそらくは 今夜も帰ってはこないであろう
夫の夕食を 泣きながら作った思い出が
こころの奥の奥で 今でもくすぶっています。


でも でも! それから間もなくして
結婚して6年間できなかった子どもを
二人も授かったのです。

これは 辛い体験を乗り越えたわたしへの
神様からのご褒美として 
ようやく子の親になることを 認められた証だと
思っています。


そんなこんながありまして~

がっ!! それから9年目には さらに辛い出来事が~!

夫が二人の子ども(7歳と9歳)と わたしを置いて
「一緒に暮したいひとがいる!」と言って
家を出て行きました。

最初の一件で <騒げば自分が傷つく>ということを
学んだわたしは
「ナスがママなら パパはキュウリだい~!」
と 静かに握手をして彼を送り出しました。

離婚はどちらかが必要になったときに・・・
という暗黙の了解があり
20数年間経った今も別居生活を 維持 あっ!決して意地
ではありませんよ~(笑)

もう今となれば お互いに何かのときには
それなりに 家族としての機能は果たすという
信頼関係で結ばれているのでしょうね。


あらら~ 息子のお嫁ちゃんの話から
とんだところへ 話が飛んでしまいましたが
彼達もこれから いろいろな困難を乗り越えて
人としての成長をして欲しいものだと
そう思う次第でなのです。

基本的に わたしは女性の見方!!
可愛い息子であろうと 女を泣かす男は許しません!


今日も ありがとうございます。

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