夏の予感
ふえ~っ! 蒸し暑い~
南西のものすごく湿った風が 吹いています・・・
またジメジメジトジトの あの感覚が
すぐそこまで きているようです。
昨年秋 いちばんいい季節の10月末に
Uターンした息子とともに やってきたお嫁ちゃん
はじめての 沖縄の猛烈な湿気地獄と化す
梅雨の時期と 過酷な長い長い夏を
乗り切ることができるのか?
「横浜に帰りた~い!」って 逃げ出さないか??
それが目下の心配事・・・
わたしの時は どうだったかな~?
湘南ガールだったわたしが
結婚して4年
夫とともに ここ沖縄にやってきたのは
復帰10ヶ月後の1973年3月でした。
夫は大阪生まれの大阪育ち
彼は当時 彼の両親の出生地である
沖縄への思い入れは強く 自分のルーツと
アイデンティティーを求めて
ある日「2、3年 沖縄で暮らしたいのだが・・・」
と切り出した。
まだ子どももいなくて 身軽だったわたしは
「2、3年かぁ~ それくらいだったら
知らない土地で暮らすのも いいかも~」
なんて 感じで来てしまいました。
でもこちらに来てから 二人の子にも恵まれて
自分の人生の 半分以上をこの地で暮らし
今では すっかり根が生えて
もうここが わたしの故郷!と 思っています。
わたしたちが来た 37年前の沖縄というと・・・
車を持たなかったわたしたちの唯一の交通手段は
バスでした。
当時はまだ右側通行の時代でしたから
方向感覚に馴れるのがたいへんでした~
バス亭の表示も あったりなかったりで
ずいぶん不安な思いもしました。
唯一の移動手段のそのバスも
春・年末の賃上闘争になると ストライキで止まり
夏には台風で止まりと
思わぬハプニングばかり。
また 水事情が悪化すると
水タンクのないアパートだったので
隔日給水などという それまでのわたしの人生
にはない体験もしました。
挙句の果てには
沖縄に来て半年もしないうちに
夫が浮気~
しかも わたしの誕生日に告白された!
なんじゃこりゃ~!!
あのときは 毎日黄昏時になると
おそらくは 今夜も帰ってはこないであろう
夫の夕食を 泣きながら作った思い出が
こころの奥の奥で 今でもくすぶっています。
でも でも! それから間もなくして
結婚して6年間できなかった子どもを
二人も授かったのです。
これは 辛い体験を乗り越えたわたしへの
神様からのご褒美として
ようやく子の親になることを 認められた証だと
思っています。
そんなこんながありまして~
がっ!! それから9年目には さらに辛い出来事が~!
夫が二人の子ども(7歳と9歳)と わたしを置いて
「一緒に暮したいひとがいる!」と言って
家を出て行きました。
最初の一件で <騒げば自分が傷つく>ということを
学んだわたしは
「ナスがママなら パパはキュウリだい~!」
と 静かに握手をして彼を送り出しました。
離婚はどちらかが必要になったときに・・・
という暗黙の了解があり
20数年間経った今も別居生活を
維持 あっ!決して
意地
ではありませんよ~(笑)
もう今となれば お互いに何かのときには
それなりに 家族としての機能は果たすという
信頼関係で結ばれているのでしょうね。
あらら~ 息子のお嫁ちゃんの話から
とんだところへ 話が飛んでしまいましたが
彼達もこれから いろいろな困難を乗り越えて
人としての成長をして欲しいものだと
そう思う次第でなのです。
基本的に わたしは女性の見方!!
可愛い息子であろうと 女を泣かす男は許しません!
今日も ありがとうございます。