2011年05月08日
「母の日」に あえてこんな話^^;
明日はあなたのみかた。by 山本一力

今日も 晴れるかな~ 晴れた!
昨日は 養父の十三回忌だった。
お墓はここ沖縄から遠く離れた 三浦半島の葉山にある。
なので 3年前に母が
「十三回忌には行かれないはずだから」と一人で行って来た。
そのとき母の上京の目的にもうひとつ 古くからの友人の
癌で余命いくばくもない ヨーコさんに会いたい!
という強い想いにあと押しされての 最後の一人旅に出た
のだった。
母が沖縄に戻って 20日後にヨーコさんは逝った。
葉山のあじさい公園近くの 先代ご住職からお世話になって
いる菩提寺で 母の養父母たちの永代供養と
本来なら3年後の 昨日だったはずの 連れ合いの十三回忌
の法要分と おまけに自分が亡きあとの四十九日までの
お経代までをまとめて お寺さんにお願いしてきていたのには
ちょっと 驚かされた。
昨日は仏壇に いつもよりちょっとグレードアップした
献花と供物と養父が好きだった キリン一番搾りをお供えして
ふたりきりで手を合わせて おわり。
そんなわけで 母にもしものことがあれば
わたしがそのお寺さんに電話を入れることになっていて
母の納骨までは そのお寺に行くことはない。
しかも 母はリビングウィルをしていて 尊厳死協会の
会員になり さらには献体登録もしている。
17年間という長い間 大病をして入退院を繰り返して
病院にお世話になった。
その 「ご恩返し」 にいくらかでもお役にでも立てれば・・・
と 本人は言っているのだが。
でも いざ というときに わたしはどうすればよいのか?
母の意志を尊重して 母を医大へ引き渡すことができるのか?
実のところ わたしにはまだその覚悟は できてはいない。
幼い頃に離ればなれになった 二人の弟たちにも
この話をするべきか否か ためらいがある。
わたし自身については 「自然葬」を望んでいて
墓も仏壇も不要と思っている。
故郷の三浦半島の海でも山でもいいから
散骨してもらえると ありがたい。
はて? やってくれかどうか?? は わたしと同じで
遺された者の 死生観に委ねられるので 確証はない。
「母の日」 だというのに こんなに重たい問題がわたしの
胸の内で葛藤を繰り返している。
今日も ありがとうございます。

今日も 晴れるかな~ 晴れた!

昨日は 養父の十三回忌だった。
お墓はここ沖縄から遠く離れた 三浦半島の葉山にある。
なので 3年前に母が
「十三回忌には行かれないはずだから」と一人で行って来た。
そのとき母の上京の目的にもうひとつ 古くからの友人の
癌で余命いくばくもない ヨーコさんに会いたい!
という強い想いにあと押しされての 最後の一人旅に出た
のだった。
母が沖縄に戻って 20日後にヨーコさんは逝った。
葉山のあじさい公園近くの 先代ご住職からお世話になって
いる菩提寺で 母の養父母たちの永代供養と
本来なら3年後の 昨日だったはずの 連れ合いの十三回忌
の法要分と おまけに自分が亡きあとの四十九日までの
お経代までをまとめて お寺さんにお願いしてきていたのには
ちょっと 驚かされた。

昨日は仏壇に いつもよりちょっとグレードアップした
献花と供物と養父が好きだった キリン一番搾りをお供えして
ふたりきりで手を合わせて おわり。
そんなわけで 母にもしものことがあれば
わたしがそのお寺さんに電話を入れることになっていて
母の納骨までは そのお寺に行くことはない。
しかも 母はリビングウィルをしていて 尊厳死協会の
会員になり さらには献体登録もしている。
17年間という長い間 大病をして入退院を繰り返して
病院にお世話になった。
その 「ご恩返し」 にいくらかでもお役にでも立てれば・・・
と 本人は言っているのだが。
でも いざ というときに わたしはどうすればよいのか?
母の意志を尊重して 母を医大へ引き渡すことができるのか?
実のところ わたしにはまだその覚悟は できてはいない。
幼い頃に離ればなれになった 二人の弟たちにも
この話をするべきか否か ためらいがある。
わたし自身については 「自然葬」を望んでいて
墓も仏壇も不要と思っている。
故郷の三浦半島の海でも山でもいいから
散骨してもらえると ありがたい。
はて? やってくれかどうか?? は わたしと同じで
遺された者の 死生観に委ねられるので 確証はない。
「母の日」 だというのに こんなに重たい問題がわたしの
胸の内で葛藤を繰り返している。
今日も ありがとうございます。
Posted by 夕焼け小焼け at 13:53│Comments(0)
│あんなこと こんなこと