2012年05月04日
39年前の沖縄で その4
朝起きて夜寝るまでの間に、自分が本当にしたいことをしていれば、
その人は成功者だ。 ボブ・ディラン

羽ばたくアマリリス^^
その人は成功者だ。 ボブ・ディラン

羽ばたくアマリリス^^
東京での暮らしでは 必要の無かった運転免許証を持たない
わたしたちの移動手段は タクシーか路線バスか
あとは 自分の足だけが頼りの生活。
どん詰まりのアパートから 坂の頂上のバス停まで出るだけでも
かなりの距離を歩く。
まだ 那覇市内の地理に不案内のうえに車の通行が
アメリカ統治下のままで 右側通行だったから乗り物に乗るのも
一苦労だった。
自分がいきたい方向とは反対の方へ バスが走って行くのだから。
バス停自体のある場所からして 反対だったからなのか~??
わけの解らない日々が続いた。
それはのちに1978年7月30日に いわゆる 「ナナ・サン・マル」
で 現行の左側通行へと改定された。
ようやくわたしも 右側通行にも馴れた頃だった。
本土復帰1年目 那覇市内にはまだまだアメリカ統治の残滓が
色濃く残っていた。
町を歩いていて よく目にしたのがコンクリートの壁にデカデカと
直描きされた コーヒーシャープ という意味不明な文字??
それが コーヒーショップの正しい表音文字であることに
気づくのは かなり後になるのだが・・・・
しかも そこではたいがいコーヒーより沖縄そばとか
カキ氷に甘い金時豆が入った 沖縄風のぜんざい が
主力メニューだということも 同時に知ることになるのだった。
愛と感謝と敬意をこめて・・・・
わたしたちの移動手段は タクシーか路線バスか
あとは 自分の足だけが頼りの生活。
どん詰まりのアパートから 坂の頂上のバス停まで出るだけでも
かなりの距離を歩く。
まだ 那覇市内の地理に不案内のうえに車の通行が
アメリカ統治下のままで 右側通行だったから乗り物に乗るのも
一苦労だった。
自分がいきたい方向とは反対の方へ バスが走って行くのだから。
バス停自体のある場所からして 反対だったからなのか~??
わけの解らない日々が続いた。
それはのちに1978年7月30日に いわゆる 「ナナ・サン・マル」
で 現行の左側通行へと改定された。
ようやくわたしも 右側通行にも馴れた頃だった。
本土復帰1年目 那覇市内にはまだまだアメリカ統治の残滓が
色濃く残っていた。
町を歩いていて よく目にしたのがコンクリートの壁にデカデカと
直描きされた コーヒーシャープ という意味不明な文字??
それが コーヒーショップの正しい表音文字であることに
気づくのは かなり後になるのだが・・・・
しかも そこではたいがいコーヒーより沖縄そばとか
カキ氷に甘い金時豆が入った 沖縄風のぜんざい が
主力メニューだということも 同時に知ることになるのだった。
愛と感謝と敬意をこめて・・・・

Posted by 夕焼け小焼け at 21:21│Comments(0)
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