2013年01月24日
答えは突然やって来た!
人間の生活の苦しみは、愛の表現の困難に尽きるといってよいと思う。
この表現のつたなさが、人間の不幸の源泉なのではあるまいか。
太宰治

この表現のつたなさが、人間の不幸の源泉なのではあるまいか。
太宰治

先日受けた アカシックセッションで わたしが質問したのは
「なぜわたしはこの齢になっても 母を受け容れることが
できないのか?」 ということでした。
そのときのリーデイングでは
<過去世であなたは お母さんにとても大切なもの を奪われて
そのときからずっと 「この人を絶対に許さない!」という
強い想いを今生まで持ち越している。> というようなことでした。
その 大切なもの が何であるのか? という質問は あえて
しませんでした。
きっといつの日か 気づきとして自分のなかからやってくる日が
来ると思ったからです。
そして今日 何も考えずにただ水道の流れる音を聴きながら
お皿を洗っている途中で その答えがはっきり!と判りました。
早っ~!
そう! その 大切なもの とは 「愛」 そのものだったのです。
あまりにもシンプルで あまりにも奥が深い~!
わたしが「愛」と思い込んでいたものは 「義務」であったり「責任」
であって 無条件の愛とは程遠いものだったようです。
だから 「愛するとは面倒なこと・・・」 「愛を受け容れると重たい」
などと愛に対する思考パターンは かなりネガティブなもの・・・
というか 「愛」 そのものを知らない と言った方が正しいかも。
まっ 奪われてしまったのだから とうぜんと言えばとうぜんか・・・・
でも奪われた 大切なもの が何であったのか?
が判ったからには それを取り戻すのではなく もういちど
自分のなかに種をまき 大切な花を咲かせればいいのだと思って
とてもたのしみな展開になってきました~
愛と感謝と敬意をこめて・・・・
「なぜわたしはこの齢になっても 母を受け容れることが
できないのか?」 ということでした。
そのときのリーデイングでは
<過去世であなたは お母さんにとても大切なもの を奪われて
そのときからずっと 「この人を絶対に許さない!」という
強い想いを今生まで持ち越している。> というようなことでした。
その 大切なもの が何であるのか? という質問は あえて
しませんでした。
きっといつの日か 気づきとして自分のなかからやってくる日が
来ると思ったからです。
そして今日 何も考えずにただ水道の流れる音を聴きながら
お皿を洗っている途中で その答えがはっきり!と判りました。
早っ~!
そう! その 大切なもの とは 「愛」 そのものだったのです。
あまりにもシンプルで あまりにも奥が深い~!
わたしが「愛」と思い込んでいたものは 「義務」であったり「責任」
であって 無条件の愛とは程遠いものだったようです。
だから 「愛するとは面倒なこと・・・」 「愛を受け容れると重たい」
などと愛に対する思考パターンは かなりネガティブなもの・・・
というか 「愛」 そのものを知らない と言った方が正しいかも。
まっ 奪われてしまったのだから とうぜんと言えばとうぜんか・・・・
でも奪われた 大切なもの が何であったのか?
が判ったからには それを取り戻すのではなく もういちど
自分のなかに種をまき 大切な花を咲かせればいいのだと思って
とてもたのしみな展開になってきました~

愛と感謝と敬意をこめて・・・・

Posted by 夕焼け小焼け at 21:04│Comments(0)
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