2013年09月08日

もういい加減に 手放せばいいのに!

流れに逆らっちゃいかん。
しかし、流れに流されてもいかん。

弘世現
もういい加減に 手放せばいいのに!


久々の実践会を終えると どっと疲れが~

心の奥深いところを 裏返しにされてゴシゴシ洗い流されたような虚脱感
かなりのデトックスだった。

もっとも リーディングされているあいだ中 ほんとうに雷鳴混じりの
激しい雨が降っていたけど・・・ 雷

クリアリングされているはずの 同じ土台に毎回たどり着くのには
こんなにも根深いものを まだ持っているのか~と われながら驚く。 

自我が創り出す 意識のレトリックとは
玉ねぎを一枚いちまい剥くような作業を繰り返してもなお そのコアは
正体を表さないというところにある。

「もういい加減 手放したら?」 と自分に言い聞かせる。 ヒミツ


愛と感謝と敬意をこめて・・・・☆


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Posted by 夕焼け小焼け at 21:36│Comments(2)シータヒーリング
この記事へのコメント
根深いものがあるのが人間では?

私も同じように、玉ねぎの皮を剥いて、そしてコアを見たいと思ったものです。
確かに、玉ねぎの芯ってあるし、それは捨てたほうがいいって・・・料理の話だけれど。

今は、皮があって人間なのかとも思っています。
何もかも捨ててのわが身というものは無いのではないかと。
無意味なものは捨ててもいいけれど、でも、私は今は核探しはしなくなりました。

上手く言えているかどうかわからないし、心境や境遇のすべてを知ってるわけではありませんが、根深いものもなかなか愛おしいものです。
それが個性だと思えるから。

私は、こんな自分に生まれちまったと、今では誰を恨むでもなく大事にしています。甘やかすこともしないように気をつけながら。

根深いものを真摯に受け止めるほど、それだけ大きく成長できると、そうありたいと思っています。
病弱の母上との暮らしも、日常となれば色々とあることと思います。
私は早々に肩の荷を下ろしてしまいましたが、それでも時折、今ならばあんなだろうかと思うような親子(もしくは、嫁と姑?)の姿を見ると、胸が詰まります。

玉ねぎの皮は剥きすぎないように。
それがあってのニコちゃんだと私は思うけど。
勘違い、的外れだったらごめんなさいね。
Posted by 玉ねぎの皮 at 2013年09月09日 22:29
☆ yokochann ありがとうございます!

玉ねぎの皮をむいていくと 囚われていたものから解放されて
そのコアに行きあたる  と思い込んでいるけれど
そこには 結局なにもない。
すべては自分の自我が創り出す幻想である。

というところまでは解っているのだけれどね~(笑)

そのコアをわざわざ設定している自我を 手放す作業をやっていると
根っことも言える ひとつの思考パターンが出てきます。

「わたしは怒りによって力を得ます!」 と言うものでした。(笑)

長いあいだ怒りを抱えていると 身体的には循環器系や腎臓に
影響が出てきます。

怒りん坊さんは卒業したいです。(笑)

yokochann の ありのままを受け容れて それこそ「ひと皮剥けた」
生き方には いつも内省のチャンスを与えてくれます。

玉ねぎの皮を剥きすぎると 自分が自分でなくなっちゃうものね~(笑)

ありがとう~! m(__)m
Posted by 夕焼け小焼け夕焼け小焼け at 2013年09月10日 09:14
 
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