2011年01月20日
往きついた答えは。
思いわずらうな。
なるようにしかならんから、今をせつに生きよ。 by お釈迦さま

うすうす感じていた疑問が 昨日のシータ実践会で明らかに
された。
<母に対する理由のわからない 怒りがこみ上げてくるのが
必ず食事時なのは 何故なのか?> これが最近感じた疑問。
シータの掘り下げで 鮮明に甦ってきた記憶・・・
わたしが6~7歳 まだ戦後の食糧難が尾を引いていた頃。
お米は米穀通帳で配給分しか買えなくて 不足分は代用食で
しのいでいた時代だった。
ある日のお昼ご飯に代用食の乾麺(今でいえばラーメン) を
母と弟ふたりとわたしとで いざ食べよう~ というときに
理由は覚えてはいないが わたしが拗ねて部屋の隅で膝を抱えて
イジイジしているときに 事件は起きた!
まだ若い母(26歳くらいか?)が
「あっそう! じゃあ食べなくていいから~」 と言って
わたしの分の ラーメンをあっさりと食べてしまったのだ~!
もういちど言っておくが ときは食糧難の時代だ・・・
その代用食だって家族全員が お腹いっぱい食べるだけの
分量はない。
自分の割り当て分を食べなかったら 夕食までの長い時間は
空腹とのガマンくらべになることは 誰もがわかっていた。
幼ごころにも 母親というものは 子どもが拗ねたとしても
機嫌がなおった頃に 「ホラ! 食べなさい^^」 と言って
こっそり差し出して くれるものだとばかり思っていた。
わたしの期待は見事に裏切られ それどころか弟たちの前で
「ホラ! みたことか~」 とばかりに笑い者にされたのだった。
そのときにわたしのなかの 理想の母親像が ガラガラ!と
大きな音を立てて崩れ去った。
どうやらその一件から わたしの母親に対する拒絶がはじまった
ような気もする。
恐るべし インナーチャイルド!
60年近い時を経てもなお いまだに食事の時間になると
わたしの胸の奥を チクチクと棘で刺し
そのときのことなど 微塵も覚えちゃぁいない年老いた母親に向けて
「わたしは あなたを母親として認めてはいませんからっ~!」
ビームを放出しづづけているのだった。
・・・と まあ ここまでははっきりと自覚できるので対処はできる。
じゃ 何故そのときの幼いわたしが たとえ食糧難の時代とは言え
それくらいのことで激しく反応したのか?? というところを
掘り下げて行くと 過去世と繋がっているらしく な~るほどな~と
思い当たることが多々ありますのや・・・
映画でも観るように 客観的にしか捉えることはできないけれど
でも潜在意識のなかに 組み込まれているのかと思うとますます
人間って面白いな~って思ったりもする。
この <わたし> という存在が個人的な <わたし> を超えて
すべての集合無意識と繋がっているのかと思えば 自他ともに愛おしく
感じられるのは なぜなんだろか??
今日も ありがとうございます。
なるようにしかならんから、今をせつに生きよ。 by お釈迦さま

うすうす感じていた疑問が 昨日のシータ実践会で明らかに
された。
<母に対する理由のわからない 怒りがこみ上げてくるのが
必ず食事時なのは 何故なのか?> これが最近感じた疑問。
シータの掘り下げで 鮮明に甦ってきた記憶・・・
わたしが6~7歳 まだ戦後の食糧難が尾を引いていた頃。
お米は米穀通帳で配給分しか買えなくて 不足分は代用食で
しのいでいた時代だった。
ある日のお昼ご飯に代用食の乾麺(今でいえばラーメン) を
母と弟ふたりとわたしとで いざ食べよう~ というときに
理由は覚えてはいないが わたしが拗ねて部屋の隅で膝を抱えて
イジイジしているときに 事件は起きた!
まだ若い母(26歳くらいか?)が
「あっそう! じゃあ食べなくていいから~」 と言って
わたしの分の ラーメンをあっさりと食べてしまったのだ~!
もういちど言っておくが ときは食糧難の時代だ・・・
その代用食だって家族全員が お腹いっぱい食べるだけの
分量はない。
自分の割り当て分を食べなかったら 夕食までの長い時間は
空腹とのガマンくらべになることは 誰もがわかっていた。
幼ごころにも 母親というものは 子どもが拗ねたとしても
機嫌がなおった頃に 「ホラ! 食べなさい^^」 と言って
こっそり差し出して くれるものだとばかり思っていた。
わたしの期待は見事に裏切られ それどころか弟たちの前で
「ホラ! みたことか~」 とばかりに笑い者にされたのだった。
そのときにわたしのなかの 理想の母親像が ガラガラ!と
大きな音を立てて崩れ去った。
どうやらその一件から わたしの母親に対する拒絶がはじまった
ような気もする。
恐るべし インナーチャイルド!
60年近い時を経てもなお いまだに食事の時間になると
わたしの胸の奥を チクチクと棘で刺し
そのときのことなど 微塵も覚えちゃぁいない年老いた母親に向けて
「わたしは あなたを母親として認めてはいませんからっ~!」
ビームを放出しづづけているのだった。
・・・と まあ ここまでははっきりと自覚できるので対処はできる。
じゃ 何故そのときの幼いわたしが たとえ食糧難の時代とは言え
それくらいのことで激しく反応したのか?? というところを
掘り下げて行くと 過去世と繋がっているらしく な~るほどな~と
思い当たることが多々ありますのや・・・
映画でも観るように 客観的にしか捉えることはできないけれど
でも潜在意識のなかに 組み込まれているのかと思うとますます
人間って面白いな~って思ったりもする。
この <わたし> という存在が個人的な <わたし> を超えて
すべての集合無意識と繋がっているのかと思えば 自他ともに愛おしく
感じられるのは なぜなんだろか??
今日も ありがとうございます。
Posted by 夕焼け小焼け at 21:44│Comments(2)
│シータヒーリング
この記事へのコメント
こんばんは
今日も
素敵な一日でした…(照)
自分の感情ですら
海のように
深く広く
把握しきれません…
なので
これで いいのだと
認めることにしてます

今日も
素敵な一日でした…(照)
自分の感情ですら
海のように
深く広く
把握しきれません…
なので
これで いいのだと
認めることにしてます

Posted by オカズ屋 at 2011年01月21日 19:32
☆ オカズ屋さん こんばんは~♪
今日は 心配していた雨も
たいしたことがなく
むしろ 運動するには
ちょうどよいくらいの気温で
たのしめたようですね~^^
満足指数と 幸せ指数は
同類項なのですものね~ (^ー ^*)V
コメントありがとう ございました!
今日は 心配していた雨も
たいしたことがなく
むしろ 運動するには
ちょうどよいくらいの気温で
たのしめたようですね~^^
満足指数と 幸せ指数は
同類項なのですものね~ (^ー ^*)V
コメントありがとう ございました!
Posted by 夕焼け小焼け
at 2011年01月21日 20:06
