2011年02月18日
生命の灯
願うことの持つパワーを信じましょう。
叶うかどうかを心配する時間も、願うことに使えるのです。
by 中山庸子

ここ最近 母から発せられる プラーナというのか
生命の灯のようなものが とてもか弱く細くなっているのに
気がついた。
85歳という齢になり 過去の大病によるさまざまな
後遺症を持ちながらも わたしと暮して6年間というもの
入院することもなく 一昨年以来風邪ひとつひかずに
ここまで来れた・・・
このところ 母自身の魂から そこはかとない悲しみが
滲み出ているのを感じるとき それを否定しようとする気持と
母との別れのときが さほど遠いことではない と
事実を突きつけてくる こころの声の狭間で揺れ動く自分に
戸惑っている。
これからの残された母との日々を 悔いのないよう
心を配って 過ごしたいと思う。
今日も ありがとうございます。
叶うかどうかを心配する時間も、願うことに使えるのです。
by 中山庸子

ここ最近 母から発せられる プラーナというのか
生命の灯のようなものが とてもか弱く細くなっているのに
気がついた。
85歳という齢になり 過去の大病によるさまざまな
後遺症を持ちながらも わたしと暮して6年間というもの
入院することもなく 一昨年以来風邪ひとつひかずに
ここまで来れた・・・
このところ 母自身の魂から そこはかとない悲しみが
滲み出ているのを感じるとき それを否定しようとする気持と
母との別れのときが さほど遠いことではない と
事実を突きつけてくる こころの声の狭間で揺れ動く自分に
戸惑っている。
これからの残された母との日々を 悔いのないよう
心を配って 過ごしたいと思う。
今日も ありがとうございます。
Posted by 夕焼け小焼け at 21:09│Comments(0)
│勝手に そう・・・思う。