「事実は小説より奇なり」その10
自分の夢を子どもに語ってこなかった親や、
子どもの悩みや喜びに耳を傾けなかった親は、
家族の一員ではなく見知らぬ他人も同然です。 by アウグスト・クリ
高校生になった弟の面立ちは どちらかと言うと母親似だった。
別れ別れにになるまで 忙しい母に代わって
学校から帰ると わたしの背にはランドセルの代わりに
いつもこの弟が括りつけられ お寺の境内でドッチボールを
するときも 木登りをするときも ふたりはいつも一緒・・・
いま考えると よくも怪我をしなかったものだと怖ろしい~
オムツだって替えたし お腹が空いたと泣けば
あかぎれの掌に 味噌をこすりつけ麦飯を握って食べさせもした。
なので 彼に対しては姉というよりむしろ 母親に近い感覚
だったのかも知れないな
ということは わたしの母性本能はわずか7~8歳で
芽生えたことになるのか~??(笑)
その弟は 信州に連れられて行ったあと養子に出されて
周囲のおとなたちから 「母親は死んだ」とだけ教えられ
養子先では 養父母が事あるごとに養子を迎えたことを
本人を前に自慢していたという。
のちに聴くところでは そのことが何より嫌だったそうだ。
上の弟は生真面目 下の弟はひょうきん者
持って生まれた このパーソナリティーが 今現在の弟たちに
長い空白の時間を超えても 残滓としてその性格を形作って
いるのが 嬉しくもあり人間の不思議さを実感する。
今日も ありがとうございます。
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