2010年12月05日

「事実は小説より奇なり」その4

僕らはここに今を生きているんだよ           byジョン・レノン
「事実は小説より奇なり」その4



今これを書いている部屋には 下の弟から送られてきた
信州りんごの よい香りが漂っています。^^



と ここまで要点だけ かいつまんで書き出しても
その行間にだって いろろな出来事は起きているわけで
枝葉を伸ばせば 長編小説なみになるだろう。


話は前後するが 途中省略した16歳から22歳までの
わたしといえば 母とは運命共同体であって
連れ子として 自由に脚も伸ばせない
息のつまるような日々を送った。 

また時間が逆戻りして 長くなりそうだけれど
続けて いいかな~?  いいとも~!!(笑)

再婚したとはいえ 仕事で留守がちな 養父の居ない家で
姑に仕える35歳の母は 化粧もせずいつもエプロン姿の
着たきりスズメ・・・
近所の人からは お手伝いさん と間違われていた。

あまりに 母に対する姑の執拗な意地悪に たった一度だけ
わたしは果物ナイフを握ったこともある。  わたし17歳

そんな 齢なんです    17歳って・・・。

それを目にした母が 姑には見えないよう咄嗟に
わたしの手を押しとどめた。

その姑も一緒に暮らして2年 母に看とられ自宅の布団の上で
亡くなった。

亡くなる前の晩に 下の世話をする母に 苦しい息のなかから
はじめて 「ヤエさん すまないねぇ~!」と呟いた。

襖ごしに その言葉を聴いていたわたしは 
「ああ! これでこの人は仏になれる!」となぜか思った。

それから姑が亡くなったあと 母が髪振り乱して介護に
明け暮れている間に 養父が愛人のもとに通っていたことが
発覚!  
そのショックで 母が睡眠薬を大量に服用して 自殺未遂。
母の性格上からして 本気で死ぬ気はなかった・・・とは
思いましたけれどね。


はぁ~もう とうてい私自身 大学受験にむけて気持を
集中させることのできる状態では なかった。

わたしの部屋が狭い という理由で勉強机もなかったし
ふたを閉じたミシンが 机がわりの状態だった。

そんなこんながあった 東北での3年間の高校生活。

でも 転校した女子高では 都会からの転校生ということでなのか
なぜか人気者~アップ
生徒会の副会長として 選任されて職務(主に司会役)をこなし
下級生からラブレター(女子高ですが??)をもらったりと
それなりに充実した学園生活を送った。

とりあえず 今はここまでにしておこう・・・


今日も ありがとうございます。



同じカテゴリー(「真実は小説より奇なり」)の記事
なんてこったい!!
なんてこったい!!(2011-12-09 21:04)


 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。